高橋(たかばし)の移り変わり
弊店は明治20(1887)年に東京の下町、深川高橋で創業致しました。以来百有余年「高橋のどじょう屋」としてご愛顧いただいております。
何故初代がこの町を選んだのかと申せば、高橋が交通の中継地として栄えていたからです。高橋は町名であるとともに橋の名でもあります。江戸時代には高くそびえる太鼓橋がかかり、葛飾北斎も「たかばしのふじ」という浮世絵をのこしているほど、それは特徴のある橋でした。この「たかばし」の下を流れる小名木川は、はるか東の行徳の湊までつながる重要な運河でした。即ち、一大消費地たる江戸へむかう東北・北関東の物資は行徳からこの小名木川を通って高橋のたもとまで運ばれ、そこで大八車に積み替えられて広く江戸市中に行き渡ったのです。それゆえ高橋は中継地としてたいそう繁盛したそうで、時代を下って昭和の初期でも映画館・芝居小屋が軒をつらね、銀座・浅草には及ばぬものの、人の往来のきわめて盛んな町であったと、先代の主人も申しておりました。
ところがこの繁栄も、トラック輸送等の陸上輸送の発達による舟運の衰退とともに翳りが見え、そして太平洋戦争の戦火がとどめをさしました。昭和20年3月の「東京大空襲」により町は灰燼に帰したのです。もちろん弊店もすっかり焼かれ、現在の建物は昭和21年2月に再建いたしたものです。
戦後高橋の町は復興しましたが、往時のにぎやかさは戻ってきませんでした。ただ俳聖芭蕉の庵の跡や、松平定信・間宮林蔵等の江戸期の著名人の墓といった史跡が残り、また小名木川を走る水上バスが、かつての舟運のなごりをとどめているにすぎません。 |